オランダ・ナイメーヘン篇 ベネルックス・独20日の旅   29 July,2002 起草

以下の黒い数字は、通貨単位ユーロ

2002.06.27(木)ナイメーヘン Nijmegen へ国鉄で移動。軽井沢の森の中の別荘を思わせる静かなたたずまい。ホテルで1回目の夕食付き。
2002.06.28(金)ナイメーヘンNijmegen 市街観光。寺院、古い町並み、チーズ切りツール購入。オムレツ屋で待つ間にスケッチ。ホテルへ帰って、夕食はインスタント日本食。
2002.06.29(土)世界的な平和の祭典「フォデイズ・マーチ」の予行演習に遭遇。バスが使えず。ホテルで一日自由時間をスケッチに当てる。夜は、宿泊費に2回目の夕食代込みの晩餐でステーキ・コースを堪能。馬鹿でかいステーキなもんで、若さ溢れる小生に差し入れが相次ぎ、もう勘弁してえ、の嬉しい悲鳴。いやあ、ワインとともによく飲み、食べた。
2002.06.30(日)朝ホテルにお迎えの自家用車3台に皆分乗して、40分程のところにあるN様の友人Frank & Rosi宅訪問。プロ画家 MR.Vincent van Delft 指導によるスケッチ会。同画家作品展覧会場のウインスチェン城参観。仲間の中には彼の絵画を購入した人もいた。

2002.06.27(木)7泊したデルフトとお別れだ。チェックアウト後、渡航カバンを転がしてワゴン・タクシー(8人で乗る。チップ込み
    2.0/人)でデルフト駅へ。凄く迂回したように見えたので運転手に確認したら、車が大きくて道の狭い経路は通れなかったと
    いう。でも、列車に間にあってよかった。第二の滞在地オランダ西部のナイメーヘン Nijmegen へ国鉄(片道oneway15.60
    /人)で、所帯道具一式担いで民族の大移動。デルフト10:18⇒デンハーグSC(セントラル・スタチオン)⇒コーダ⇒ユトレヒト
    11:35⇒12:24アーネムと順調にやってきたのに目的地寸前のアーネム乗り換えで、元気ババさん軍団は先行列車で出発
    してしまい、おいら達トイレ頻繁ジジ組と言ってもTさんと小生の二人は、トイレに行っているうちに取り残され、別れ別れにな
    ってしまった。でも結果オーライで、終着ナイメーヘン  Nijmegen 駅で、無事合流したから、メデタシメデタシ\(^o^)/
    でも先は長いと、ふんどしを引き締める「やまと」でありました。あそこの有料トイレ30セント、Tさんに借金した。駅〜ホテルの
    タクシー約40分、チップ9.0/人。ここは駅からは遠いが回りは軽井沢の森の中の別荘を思わせる静かなたたずまいである。
    旅装を解いて、近所の町探検に出かける。観光案内所、スーパー、総菜屋などの当たりをつけた。
    ここのホテルは、4泊の間に2回の夕食が付いているという有り難いチャンスに恵まれ、今日はその1回目。デジカメ撮影しな
    かったのが残念であるが、伊勢海老の素敵なコースがあった。ビール、ワインの飲み代は別途であるが、大いに飲み、うまい
    料理に舌鼓みを打ったのは言うまでもない。

2002.06.28(金) 朝からナイメーヘン Nijmegen 市街観光に出かけた。バスターミナルに着いたころに、あいにくの雨にな
    った。寺院やら古い町並みを散策して、チーズ屋さんで、チーズを買わずにチーズ切りツールを買った。ビールとかの消費財
    を除けば始めての買い物だ。野菜屋さんではホワイト・アスパラを売っていた。ノルマンデイ作戦の時に戦車が渡ったとかい
    う橋や、銅像などがあった。腹減ったので、T夫妻が以前入ったと言うオムレツの店にはいった。料理が来るまでの時間を利
    用して、店内をスケッチする。ホテル近くの町まで帰ってから途中下車して、コンビになどでさくらんぼ、パン、飲み物などを仕
    入て来た。隣部屋のA奥様には、無い知恵絞って、さくらんぼをプレゼントしたりして、最大のオベンチャラを使って携帯用湯
    沸かし器の借り出しに成功。ルームメイトのNさんが、ワインやブルーチーズ、買い込みサラダなどで祝杯の後、湯沸かし器が
    350ccしかないので、何回もお湯を沸かして、インスタントのご飯を作ってくれたが、これが結構うまかったのは、離日して長く
    なるせいかなあ。

2002.06.29(土) この土曜日、アーネム Arnhem のクローラ・ミューラ美術館とかに行く為、にバスの停留所に行くもバス現れ
    ず。丁度、ナイメーヘンの世界的な平和の祭典「フォデイズ・マーチ」の予行演習にバッテイングしたみたいで、バスが停留所
    を変えても来なかった。我々仲間はあえてアーネムに行く事を強行する組と、小生のようにホテルでのんびりしたい組に分か
    れたが、結果的には小生の判断が正しかった。小生はホテルの庭先で写生をした。構図がとっても素晴らしいのである。
    この日の夕食は、宿泊代込みの2回目で、ステーキをメインにした豪華な晩餐で、ボトル・ワインを注文し、よく飲み、良く食べ
    た。飲み代支払いは、1回目と同様に飲めない人と傾斜を付けたのは勿論である。

2002.06.30(日) この日は今回の滞在中、特筆すべき1日になった。今回の旅行で安い宿泊設備の確保等に付いては、仲間の
    T夫妻の娘さんのご夫婦(6/23 に記載のNさん)が現地駐在者というご縁で随分お世話になった。そして、そのご主人のゆか
    りの友人、また、そのご縁でプロの画家との指導交流という稀にみる幸運に恵まれた。

   北京市街地図(分かり易い)

▼1988年(昭和63年)3月全行程

   昭和63(1988)年3月10日(木) 10:00成田発 同日 13:40 北京着。北京・京倫飯店泊。
   3月11日(金) 午前中、日方各グループと中方水利電部及び各発電所関係者による合同の全体会議。
                    午後、各発電所毎(遼寧省・錦州、山東省・済寧、上海市・閔行)に分かれて、分科会。
   3月12日(土)午前中、分科会続き。午後、総括会議。北京・京倫飯店泊。
   3月13日(日) 14:00 上海発 同日18:40 成田着。

▼成田〜北京(3/11)

   今回も出発2時間前の午前8時までに成田へ自宅から行けないので、三軒茶屋のホテルに前泊した。

     左はいずれも、3/11 成田出発後、左は東京上空(下方は東京湾、中程は皇居、そのちょっと上に東京ドオームが見える)、右は北京空港近くの写真。

▼北京(3/11)

   当時北京では、毛生薬101というのが凄いブームになっていた。民族飯店で昼食後町をブラブラしていたら、下の写真にあるように、その薬を売っている店の前に長蛇の列があるのを発見、早速探索する事にした。この店の2階に毛髪診断専門の医師がいて、我々が入場料を払うと、現地の人が並ぶ中、先行して中に入れてくれ、言葉は分からなかったが、診断してくれ、毛生薬101を買わされた。そのころは小生も薄いのが気になっていたので買ってきたが、帰国後、変なにおいがするので気持ち悪くなり、捨ててしまった。

    毛生薬101専門店前
   1988.03.11
    同 左     同 左

   毛生薬101専門店前
   1988.03.11
    同 左

   中国・水利電力部前    同 左

  仲間と祝杯   同 左(汾酒プーシュという強いのを飲んだ)

▼天壇公園観光(3/13、日曜日)

   今日は早や帰国の日となってしまったが、午前中、天壇公園と故宮を大特急で見て回る事にした。

   どちらも広大な敷地にある歴史的な遺産といえようが、時間がないので、行き当たりばったりで、ぐるっと一回りした。どこがいいのか、知る由もなく、時計と首っ引きで歩いた。天壇公園の入場料は2元であった。

   天壇公園
   1988.03.13
   同 左    同 左

   天壇公園
   1988.03.13
   同 左    同 左

   天壇公園
   1988.03.13
   同 左

▼故宮観光(3/13、日曜日)

   故宮は噂には聞いていたが、1406〜1420年の建造、明清2代にわたる凄い宮殿で、紫雲城とも呼ばれる。入場料5元を払って一人で中を散策した。表門の午門から入って、中心部を駆け足で、裏門の神武門まで行き、その後、美術工芸品の陳列棟などを見る。古い建物、宮殿内の丁度品や、大理石で出来た階段や欄干などは、さすがに凄い宮殿だと思い知らされた。しかし、後年、台湾の故宮博物院を訪問する事になるが、今回のここ故宮の美術工芸品がいかに貧弱であったかを知る。すなわち、北京の故宮の美術工芸品はもぬけの殻といった表現が相応しいほどひどいものだった。Yahoo検索で探した 『The Last Emperor』の紹介サイト故宮の歩き方を最後に引用して、終わりにする。

   紫雲城配置(色の線は足跡)    紫雲城全景(72万平方米)

   午門(正面入り口)    外東路(東筒子路・紫雲城側壁)

   大和殿    乾隆花園    同 左

▼帰国(3/13)

   今回は我がTグループが担当した上海市・閔行発電所の運用効率向上などのリハビリ提案は、発電所技師と直接技術交流が出来なくて、中方にどれだけ趣旨が理解されたかは分からない。具体化に当たっては詳細な詰めが必要だろうし、我々メーカーとしてやった事のない他社機の改造をどうするかの問題も残る。でも珍しい経験もしたし、束の間の観光見聞と言う収穫もあって、無事帰国した。

   この年、翌4月から30年勤続の会社を早期退職し、新しい第二の職場に転籍した。

   この「旅つれづれ」のサイトは、今回の「その2」を入れて全部で8編に及んだ。これはいわば我が生涯に経験した外国出張史とも言うべき集大成と自負するものである。

   今後は、国内・海外のプライベートな旅行を起草して行こうと思っている。


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