南房総太海海岸・小湊


太海海岸(1)1997年10月 3日

 私は画用紙、絵筆、アルバム、額など画材を最近新宿の世界堂で買い求める事が多い。ここのビルの下から上まで凄い種類のあらゆる画材が揃っていて、一日眺めているだけでも退屈しない。この世界堂が年一回のスケッチ旅行を企画し、今年は南房総・太海海岸へ行くとの情報をレジで見付けて参加する事にした。新宿に集合、専用バスで東京駅経由南房総へ向かう。南房総はリアス式海岸の変化に富んだ入り江と景観が感動的で、特に太海海岸は多くの画家の写生地として知られ、安井曽太郎の代表作「外房風景」(大原美術館所蔵)は、ここの江澤館という旅館で描かれた。この旅館は有名画家の作品を鴨居に無料展示し、安井曽太郎が「外房風景」を描いた部屋も参観自由になっている。勿論、私も見てきた。今回のツアー参加者は、殆どが長時間かけて大きな油絵を描き、ポストカードをやるのは、私一人という希少価値があった。私は、約千円するが、5分もかからない仁右衛門島へ渡船で渡り、太海海岸を描いた後、島の一周見物をした。



仁右衛門島(1)1997年10月 3日

 今度は太海海岸へ戻って、船着き場から、仁右衛門島の西端を描く。電気は10メートルほど隔てた海峡を渡って給電されているが、電線も入れた。後刻ホテルで4人同宿した中のSさんは、プロの画家であったが、私のこの絵を見て、電線・電信柱を入れたのは、遠近感が出てよい と誉めてくれた。この島にはその昔、源 頼朝が、戦績のあった仁右衛門に阿波一国をやろうといったが、彼はそれを聞き違えて、穀物の粟1石では損になるので、この島が欲しいと申し出て受領したとの故事があるそうだ。当主の仁右衛門さんが町からの帰りの渡船ですれ違った際、船頭があの人だよと私に教えてくれた。



仁右衛門島(2)1997年10月 3日

 先の太海海岸(1)の絵の対岸真ん中辺から手前方向の仁右衛門島を描いた。白い灯台を中心にして、
180度の関係位置である。この二つの絵は、どちらも岩と海の組合わせだが、荒波の表現が出来ず、素人の悲しさでどうしようもないが、海が凪か、またはまるで池みたいになってしまった。油絵は白の上塗りが出来ようが、水彩はそれができないのが悔しい。かの江澤館という旅館には、NHK小さな旅で紹介された、斎藤良夫が太海で描いた「波涛」という、岩が波を噛み砕き、白いしぶきが怒涛のように渦巻いている、迫真の油絵が展示してあった。



小湊から見た夕日 1997年10月 3日

 私達は、4時頃宿舎のサットグランドホテル小湊へ到着した。部屋は太海海岸向きで、とても見晴らしがよく、ちょうど夕日が部屋一杯に差し込んで、眩しいし、暑かった。私達はすぐ風呂へ出かけたが、かのSさんはベランダにドッカと座るなり、声かけても返事せず、もう一生懸命絵筆を走らせていた。私は翌朝早起きして、同じ構図を描き、夕日はSさんのアドバイスを受けて描いた。太陽は白抜き、日付は昨日にした。



太海海岸(2)1997年10月 4日

 二日目、小湊から専用バスで再び太海海岸へやって来た。傾斜の急な裏山へ登って、描く事にした。この絵はドライブ・イン方向を狙ったもので我々の専用バスも視野に入れた。



仁右衛門島(3)1995年10月 4日

 場所を変えてやはり裏山から、島が見下ろせる位置を確保した。昼の弁当はここで食べた。ツアーコンダクタのAさんが、ノコノコやってきて精が出ますね、といってから、この位置は、かの斎藤良夫が描いた絵の構図と同じだ、ここだったんだ、と驚嘆の声を上げたので、私はビックリした。良い構図を狙う位置決めは、私もプロ並みだという意味において(^_-)。実はここを終わってから、裏山を降りて、江澤館へ見学に行ったのである。そして絵の出来には雲の差はあるが、構図がおおむね私のと同じ斎藤良夫作 仁右衛門島遠望(太海)F30号と「波涛」の油絵の絵葉書、それに安井曽太郎の「外房風景」の絵葉書を買った。



太海海岸(3)1997年10月 4日

 当地最後の絵は、防波堤突端の灯台付近から、船着き場方向を狙った。  画面左上の洋館の様なもっとも高い建物が、江澤館である。帰る時間が来てしまったのでデッサンだけで打ち切り、帰途の専用バス車中で色を仕上げた。



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